倶胝竪指

最近気づいたが、プレションのゲーム内に入っているスタッフロールがそのまま転載されているサイトがある。
くるみミラクルや、高2→将軍についてページを確認できた。
そんなことより、うちには古いプレション2があることは述べたが、ゲームの品揃えとしても決して悪くはない。但しプレ1とプレ2ではプレ1の方が多く、又プレ1の方が面白い名作が揃っていると思う。
しかるに、ディスクを用いたゲームソフトについては以前から反対しているのに、現在に至る迄最も便利な媒体として用いられている。
ディスクディスクっていっても、ディスクシステムのことだけどな!
ディスクシステムはゴムのドライブベルトが緩むという欠陥があることはご承知の通りである。吾輩はその昔、知人からディスクシステムを2千円で譲ってもらった。中古品であるし、ベルトが緩むことなど考えもしなかった。その後、リンクの冒険などを熱心にプレーしている時にベルトが緩み、読み込みができずエラー22となった。幸い、町のおもちゃ屋に言ったら、ベルトを一本200円だかで取り寄せてもらえたので、安心してプレーすることができたが、今はもうディスクシステムは破棄したので手元にない。
結局マリオ2さえできればいいし、ゼルダの伝説も面白いが、どちらもWiiでプレーできるので問題ないのだ。
そういえば親戚がファミリーベーシックを買って遊んでいたよなー、と当時を思い出す。
吾輩はBASICなどに多少興味があった。無論それは自分でゲームを作ってみたいからであった。今となってはそういう情熱はない。かといって所謂ツクール系に手を出すこともなかった。C++もちょこっと学んだが役に立たなかった。
そもそもゲーム業界がどういう開発環境を利用しているのか、調べるにもネットしかないし、どうやって調べればよいか見当もつかなかったので、肝心のゲーム作りは頓挫してしまった。
以上で、ディスクシステムの思い出については述べられたことにしよう。

南泉斬猫

このダイヤリーも、もう少しでブログに移行されるそうである。
SNSを廃して、ダイヤリー一本で行こうと思っていたのに(本当かよ)、出鼻をくじかれた感じである。
さて、このダイヤリーはブルマーに関する記事のおかげで、一部の人に知られている。だがその後は大したことも書けずに、十有五年が過ぎてしまった。今後も大したことはないだろう。
昨日は「風のクロノア」をちょっとやったが、にせ3Dのアクションゲームであり、眼が疲れた。しかしこのゲームもまた10点の価値あるゲームである。とはいえ、生涯にプレーしたゲームの中では6位程度に甘んじているゲームであるから、この上にまだ5作品ほど10点が残っているわけである。それらについて一々言うことは控えるが、全て前世紀のゲームである。
さらに言うと、TVゲームにCDだのDVDだのをソフトとして導入した者は許せない。なぜROMカセットではないのか。最近はブルー・ディスクになっていてデータをHDDに移した上でプレーできるようだが、HDDというのもそんなに信用していいものかどうか分からない。また、パソコンではなくゲームであるから、外部からの衝撃に対し耐えることが必要であるが、そこらへんは大丈夫ではない気がする。
まあ>>1はファミコンでもやってなさいってこった。

隻手音声

画業について先日述べたが、今日は述べない。
くるみミラクルの話をしよう。これはまことに優れた前世紀のゲームであり、実におおらかな、懐の深いゲームである。くるみの発言は、時に手厳しく、時にオマヌケで、キャラクターとしてはひとつのゲームの範疇を超えていると思われる。それくらい魅力がある。現代っ子にこういうものを作れと注文しても全く無理であろう。
くるみミラクルの攻略&ネタについては既にファンページというものがネット上に存在する。ファンページには、エンディングが30種類あることが記載されているが、具体的にどんな条件を揃えればいいのかは書いてない。これはファンページ作者の遠慮というか、エンディングの条件まで総て開陳してしまっては、わざわざ攻略本「くるみミラクル完全攻略ガイドブック」を買った読者に申し訳ないという気持ちがあるのだ。
実は先般ちょっとプレーしてみた。一番驚いたのが、ナギサちゃんが銛のようなものを絶えず背負っていること。銛打ちかよ! ちょっと『白鯨』の登場人物を思い出してしまった。
銛はともかく、ツインテールのかわいいアイドルカレンちゃんとか、腋が甘いステラちゃんとか、1パターンしか立ち絵がないミモザさんとか、そのほかヘンテコなキャラも揃っている。
ゲーム制作のメインスタッフはスタッフロールに名前が出ており、検索してみるとそれっぽい方々が引っかかる。しかし、そういうスタッフにコンタクトを求めても、決して有り難がられないと思う。(以下は筆者により抹消されている)

廓然無聖

今日は昨日より寒くないので何かできそうである。
アリストテレス政治学』を全集で読んでいる。中々面白い。
三日に一遍のペースで画業の成果を上梓してきたが、ここに至って少々疑問を感じている。三日に一遍というのは、無理のないようにと考えておおむねそのようにしているのだが、傑作でもないのに三日に一度現れてさあご覧と言ってみても、読者が喜ぶことは稀である。だったら一週に一遍にしてみるか。夫れとも一月に一遍にしてみるか。固より昔はそんな感じだったのである。(ここで過去の痛い絵を渋で振り返るのは痛いのでやめる)
渋における読者は、ブルスクがお気に入りのようだ。チナミに至っては何がお気に入りなのかさっぱり分からない。もちろん、ブルスクばかり描くつもりはない。ブルスクは単純な色をしているからあたかも塗り絵のようにサッサと仕上げられる、と誤解している向きもあるが、そんな単純なものではない。きちんと人体の構造を計測して初めて画業である。
痛い絵を晒し、恥をかいて、そうして上達するという強攻策をとってきた。しかし上達するではなく上達したような気がしただけである。半年だからそうすぐに結果は出ない。つい最近になってペン先を太くしてみた。そして筆圧により描線がちゃんと変化をもつようにしてみた。今迄は目一杯細いペン先で、後先考えず無闇にギューとペンを押しつけていたのだ。これは手の健康にも良くないことである。タブレットペンをGペンのように構えて使用するのが正しいということに、ようやく気づいた。しかしそれは本物のGペンを使っていた時の作画法に戻るということであり、絵の雰囲気から何から、元に戻すということになるのだ。半年間の迷走の末に辿り着いた結論であった。
結論が出たからすぐに画業を再開、ということにはならない。イラスト業よりも漫画業のほうが性に合っていると感ずる。漫画もモノクロで16ページを四週間で描いたが、反響に乏しかった。いっそ丸一年かけて60ページぐらいの長編読切りを仕上げたほうがいいのだろうか。
それでも、若干のイラストのストックはあるので、気が向いたら上梓して参りたい。ストックは必要である。精神の安寧の為に必要である。しかし(自分で決めた)締切に追われながら制作した絵というのもそれはそれでまずくはない。ただ精神の安寧は失われる。
この程度の記事は全然長文ではない。長くかけば原稿紙20枚ぐらいにはすぐなる。しかしきりがないのでここらで已めておくつもりだ。

ブルマー

 さっそくネタ切れのようだ。書店にもそれほど頻繁に行くわけではない。したがって女子高生を目にすることもきわめて少ない。

 私の出身高校は、伝統のある、一応の進学校である。そこでの私の三年間が、灰色であったか、桃色であったか、それは別にして、制服という点でいうときわめて恵まれていた。

 普段の制服は大したことはない。むしろ古くさくてダサいデザインであり、好きでない。一応はセーラー服である。ベースの色は、冬なら濃紺、夏なら白である。胸元にえんじ色のタイをつけるのは夏も冬も同じだ。セーラー襟にはラインが一切入っていない。ちょっと珍しいといえるが、ファッション的に美しいとは思わない。スカートは夏も冬も同じく濃紺のプリーツスカートである。

 私はなぜ上の方で「きわめて恵まれていた」と書いたのか? それは普段の制服についてではない。

 体操服がブルマーであった。

 もしも私があと4年遅く生まれていたら、ブルマーを間近に目にすることは一生なかったであろう。私が3年生になった時の1年生から、ブルマーは廃止され、短パンになった。これは現在でも変わらない。

 特に8、9月は持久走の季節であり、私たちは週に4時間の体育の授業があった。校舎の周囲1キロメートルを5周する。その体育は女子と合同で行われた(スタート地点は別だが)。よって、走っていくうちに女子の集団に出くわした。

 お尻、お尻、お尻の大集団である。私は息を呑んで彼女たちの尻に見入るのだった。ブルマーというのは、ご承知のように、尻肉を完全に覆ってしまうものではない。多少ははみ出してしまうものだ。その肉が、脚の動きに合わせて上下に揺れる。

 まあ、勃起してしまうほど熱中していたわけではない。第一、自分たち男子も走っているわけであるし、持久走はけっこうしんどいものだ。ハアハア息を切らせながら走っていた。

 一度だけ、体調不良を理由に走るのを休んだことがあった。この時は男子のタイム測定を命ぜられた。私はコースわきに突っ立って男子および女子が走り過ぎるのを眺めるだけだった。この時はさすがに勃起を隠せなかった。

 本来なら、私の見た光景を余すところなく表現し、ブルマー好きの諸兄を喜ばせたいところだが、文才がないのが残念である。とにかく私は、本来なら健全であるべき高校生活において、初めてブルマーというエロい衣装を知ったのであった。もしかすると、私がオタク道を進むことになったのも、このブルマーが原因かもしれない。全く因果な服装である。私はブルマーをたたえる漫画を描いて級友たちに見せた。彼らは失笑していたようだが、やはり男であるし、ブルマーを素晴らしいと思っていたのは間違いないだろう。

 さすがに今となっては、スク水などの萌えアイテムを他に知っているので、ブルマーのみに熱中することはないが、たまに私の出身高校の近くを通りかかると、ブルマーに熱中していた高校時代をなつかしく思い出す。

 というわけで、私は紺色の高校生活を堪能したのであった。

 ただの凡人が日記を書いて面白がってもらうのは、簡単なことではない。

 例えば、ネタ的な体験をして報告する。うまい棒だけで一週間過ごしてみたり、ポーションで米を炊いたり。

 二次元少女オタクがやれることはどんなことか。例えば、エロゲーをたくさん買って部屋に積み、その写真を撮ってウェブに掲載する。これはただのコレクターという感じでそんなに面白くない。美少女の半裸が描かれたシーツをベッドに敷く。「悟り」と称して、メイド服などのコスプレ衣装を自分で着て(顔だけ隠して)写真を撮る。他には……あまり思いつかない。まあ、普通の人があまり思いつかないことだからこそ面白いのであるが。

 このように、サイト管理人は自らピエロとなる必要がある。どこまで自分の恥ずかしい姿をさらけ出せるか。その線引きは難しく、一歩間違えるとただ寒く痛い状況を作り出してしまう。

 私は最近は二次元少女に対してけっこう淡白である。絵を見てかわいいと思うことが多いけれど、それほど強く思うことは少ない。美麗なCGイラストも、ちゅるやさんのAAも、同じようにかわいいと思える。

 私は原稿用紙の上ではしゃぎまくることができない。よく、日常生活では生真面目だけれど、漫画を描かせればムチャクチャな漫画を描くという人がいるだろう。私の場合、抑制の強い性格であって、日常生活でもウェブでもどこでも大騒ぎすることができない。
 単に能力がないというだけかもしれない。まあ、そう決め付けてしまうと話が進まないのであるが、日頃冷静な人が漫画なり小説なりに自分の全てをぶつけられるということは素晴らしいと思う。その作者は、身近に友人がいないかもしれないけれど、作品を読んだ多くの人に好かれることだろう。
 私は作家では熱情的なドストエフスキーが好きだが、迷宮的世界を描くカフカも大好きである。カフカの描き出す世界はどこか滑稽だが、とうてい笑って済まされないような深い絶望を抱えている。私は特にカフカを目標にしたいと思っているわけではないが、結果としてカフカのような世界を作り出せたら素晴らしいと思う。
 どんな漫画を描きたいかというと、すぐイメージされるのは、小原愼司の「菫画報」である。私は細かいギャグの連続が好きなようである。オチもちょっとナンセンスなぐらいがいい。いかにもマイナー志向な考え方といえる。

 いずれにしても、まだ才能がないと決まったわけではない。漫画はともかく小説の方は、人生経験を積んだらもっともっといいものが書けるようになるかもしれない。出版社に評価してもらえるまで投稿を続けることにしよう。

ツインテール

 私がツインテール狂であることはすでに表明した。
 どうしてこんなにツインテールが好きなのだろう、と悩んだものだ。私はその答えを出すために「ツインテール教入門」という小説を書いた。しかし結論らしい結論は出なかった。
 結局、おさげ髪がかわいいものだというのは動かしがたい事実である。だから、なぜかわいいんだろうと考えるのは無駄なことだ。われわれはただ美しきツインテールに対面し、その美しさに感動させてもらうだけである。

 フロイトは性倒錯の対象の例として、女性の衣服や靴などを挙げているが、そのリストの中には「おさげ髪」も入っている。してみると、おさげ髪に病的に執着する人間は、なにかリビドーがそのあたりに固着しているというわけなのか。私の場合は、おさげ髪の全体ももちろん好きであるけれど、髪を束ねた結び目の部分とか、後頭部の分け目とかも特に好きである。いったいどういう心の働きでこのような嗜好が起こるのか、じっくり考えていきたい。
 ちなみに、「靴下」はそのリストに入っていなかったが、裸体に靴下といったシチュエーションに興奮するところをみると、やはり一種のフェティシズムといえようか。
 フロイトの「エロス論集」(ちくま学芸文庫)には性に関する論文が収められているそうなので、さっそく買って読んでみたい。