なんで上からなの?

ご承知の通り、画業を継続している。

女の子の瞳を描き込むのは、誠に楽しい行程であるが、昨年後半の画業では気づかなかったことに今では気づき、又プロのアニメーターの作品をちょっと真似ることで、メリハリのあるくっきりした瞳を描けるようになったと感じている。

口の中を塗るのは、フィーリングでやっている。いちいち鏡に自分の口の中を映す必要もあるまい。口の中もデザインである。

ほっぺに斜線を引くのは、昔からのことで新しくないが、その上にピンク色を塗ってガウスぼかしを最大限かけるという手順が固定化している。

肌を塗って、1影を塗る。余はディジタルネイティヴではない……こととは関係ないかもしれないが、アニメ塗りが旨くできるようになりたい。グリザイユとか、ボケボケな塗り方は好きでない。なお1影の境界はぼかしツールで軽くなでる程度である。

肌の2影は、首の部分と、おマタの下の部分にできる影である。

どこかで、肌の影には青系を混ぜたらいいと読んだことがあり、余もちょっとした手間ですぐ実行できるはずだが、どうも好きになれず、自己流無手勝流で色を決めている。

某という課金システムに登録することにし、来月から課金開始するのであるが、こればっかりは読者が登録してくれないと課金にならないので、向後は渋・チナミで宣伝すべきであろう。イラストの一部を切り取って見せる(アイキャッチ)のは、できることならそんなセコいことはやりたくはないが、成人向け作品だったりするとそうせざるを得ないこともあるだろう。尤もチナミでは絵の全体ではなくサムネイルを最初に見せる形をとっているから、某システムでも簡単にサムネを作れるツールがあると便利である。

先般、課金システムで活動することはエロ絵に魂を売ることだと述べたが、別にそうだと決まったわけではない。余は己を見つめ直し、露骨なエロ絵をそんなに量産できないことを知った。竿役とか、できることなら描かずに済ませたいしな!

それにしても、一昨年以前の自作のカラーイラストを見ると、うーんこの、とってもひどいと感じる。オニャノコの肌の色というものが全く分かっていなかった。モニタが悪いのではない。他人の描いた絵の肌色を真似て塗ったこともあるはずだが、なぜか違和感を感じて已めてしまったようだ。ちなみに現在は自作カラーパレットの肌色を使用するか、あるいは最初からCtrl+Uで色を探して決めるという方法である。

やりますねえ

コミケットの時候である。

臆面もなく性慾全開のエロ同人誌を頒布できるこの手の同人イベントでは、最大限金銭的な儲けを狙う参加者もいれば、イベントに出ることそのものを楽しみとしている参加者もいる。

同人イベントで最大級のものであるし、世の中実に様々な方面のお宅族がいるのだから、彼ら全てを受け容れる懐の深さは大変なものである。

漫画・イラスト方面に絞って述べると、ストーリーやシチュエーションを構想することは楽しいし、作画の行程も楽しいし、買い手のお宅族に作品を発表するのは一寸緊張するけれどもやはり楽しいものである。

それでも、世の中は変化し続けるのであり、同じお宅族でも現在ではSNSを利用して宣伝するのは当たり前で、日常的にも(毎日とはいわないが)作業の行程とか趣味の雑談とか、そんなものを披瀝することもまた当たり前となっている。

余は紆余曲折の結果、SNSをまともに利用できなくなった。己の意見は他人の意見と烈しく衝突するものだから、言葉を介して交流することができない。そこでイラスト業に転身すると、今度はイラストは物を言わないと思っていたのに案外雄弁であることも明らかになった。

衝突するということは、それだけその意見が先鋭的であったり偏向的であったりするのであろうが、今日からすぐにそれを親しみの持てる優しい意見に取り替えようとしても、そんなことは不可能である。

余はリクルートスーツのファンであるが、以前イラスト同人誌まで作ったほどのリクルートスーツフェチである。しかし、どうしてこの衣装を愛するのか、正直に述べることは控えたい。本当は誰かに言いたいけれども、その相手は親友でなければならない。だが親友がそれを聞いてどういう反応をするか考えると、あまり言うべきではないかなとも思う。

SNSを流し見ていても、画業作品以外の発言は、熟読するに値しないことどもばかりで、時間の無駄である。そんなものを生産するくらいだったら沈黙を選ぶ。

画業というものは己との戦いだと思っていた。無論、怠け心との戦いには違いないが、読者とは戦うのではなく、融和していく必要が生じてきた。素晴らしい作品で読者を圧倒しよう、という考えは古い物かもしれない。それはごく一部の実力者のみができることである。画業はそもそも戦いではなく、読者を巻き込んで一緒に楽しんでゆくものだとすれば、余の向後歩む道のりは険しくなるばかりである。

あと96回

画業を停止してから六ヶ月経過していたが、その間画業は全く上達しなかったはずなのに、再開してみるとちょっと旨くなったような気がするのは事実である。

渋フョロワーも減っていないし、チナミでもそこそこ評価されているし、依然としてロハではあるが活動は充実している。

某という課金システムがあり、これにクリエイターとして登録すると、チャリンチャリンと金子が入ってくることもあるらしい。

このシステムを仮に利用するならば、絶対に必要なのは、システム内限定公開のエロイラスト、乃至漫画である。余はこれまでの活動であんまりエロ作品をたくさん上梓していないが、これは別にエロ作品が嫌いとかいうのではなく、18禁作品でなくともエロスは表現できるから(紺ハイソとかな)、成る丈18禁という枠にはまらない作品を上梓したいと考えているからである。それに、余の場合は18禁か否かという区別があいまいなイラストが好きであり、ガチレズとかはお断りしているから、ではどんなエロがいいのだろうと考え込んでしまう。

エロ同人誌においても、一旦エロという枠をはめるからには、ガチな交合シーンが必要だと多くの人が思っているはずだし、単に一里えっち(覚え違い)だけでは許さん! という殿方もいるだろう。

結局、某という課金システムへの登録は見送っているが、登録するのならばエロに魂を売らなければならないし、画業も継続的でなければならないし、やはり金を取るというのは簡単ではない。

ところで、余は今後の画業に於いて、女の子の瞳をもっと丁寧に描こうと考えている。勿論今迄だって手を抜いてはいないが、より丁寧な、エレガントな、日本人好みの瞳を描くべく邁進するつもりだ。

画業者のファン(課金者)がどれだけいるのか、見られるシステムもあるが、大したことないのに若手サラリーマンよりも稼いでいそうな画業者がいることに驚きを禁じ得なかった。普段エロを全く公開しない人が、課金者限定でエロを公開すると、面白いことになるようである。

いづれにせよ、わずかな金子の為にエロに魂を売り渡すということは、人格破産者へつながる道かもしれない。画業をして読者の子種を搾り取ることは、prostitutionとは呼ばないが、場合によっては歪んだ性癖を青少年に植え付けることもあり、先進国の国民としてよく考慮していくべき事柄といえる。

わかります!

 余は画業を再開してしまった。
 昨年の記録によると、昨年七月に『チサト同好会』を制作し、その後カラーイラストを始めたようである。
 一年に一作品ぐらいは、24ページの読み切りを制作したいものだが、気楽に楽しめるコメディがいいという観点からは、べつに4ページ宛の続き物でも構わんし、イラスト連作とか台詞入りの紙芝居的なものでもいい。兎に角キャラが立っている必要がある。
 創作というものには人格が宿る。余が普段口を閉ざしているようなことどもについても、創作物の中にはそっと紛れ込んでいるものである。とはいってもさすがに女の子のブルスクリクスーイラストに人格も何もないかもしれないが、余は己の作品に対しては盲であり、他人の作品を見るとさまざまな側面が見える。尤もそれはアマチュアの作品について言えることで、プロの場合は金をとって読者を喜ばせるための作品であるから、洗練の度合いが違う。
 うなぎの寝言みたいなエロ台詞を並べた紙芝居は、書いている側としては使用()するに足るものかもしれないが、読者にとっては果たしてそうであろうか。簡単にできるものではない。
 冬は寒いから、画業の妨げとなっている。余は今年一月~六月にほとんど画業をしていないが、それは別のことに集中していたためであり、又来年も同じことに集中するとは限らないので、画業が寸断されることはないかもしれん。余はかねてからカワイイ女の子を描写することに力を尽くしているが、一生涯を賭けて取り組めるテーマを人生の早いうちから発見していたと思うと、自分ながら満更な者とも思わない。
 体力気力が充実しているうちに、できることを成し遂げたい。

相手をほめる

Casiopeaの曲で「Private Sunday」というのがあり、これが人類の宝であると賞賛するのは余だけではあるまい。

THE SQUAREの曲「TAKARAJIMA」もまた、人類の宝であると賞賛するファンが多いだろう。

歌のない楽曲でも、歌のある楽曲でも、一つのアルバムには色々と趣向の異なる楽曲が収められているものである。フュージョンでいうなら、(極めていい加減だが)明るい曲、ノリノリな曲、落ち着いた曲、暗い曲、のように様々に分かれている。

明るくてノリの良い、にぎやかな曲は、多くの人の人気を得ると思うが、落ち着いたしっとりした曲もアルバムには必ず入っていて、良いアクセントとなっている。

現今では、PC等を用いて、楽曲をアルバム単位でなく楽曲単位で選曲できるから、必ずしもアルバムを全部聴くことはない。気に入った曲だけ分離して、余のように「フュージョン傑作選」と称する自作CDを作ることも可能である。

古い曲をいつまでも楽しめるのは有難いことである。古い名曲を聴いていると、それが収録されたCDを買って繰り返し聴いていた当時を思い起こすものである。人間は過去を美化しがちであるが、すぐれた楽曲が発売され店頭に並んでいたのだという事実だけでも、感動を呼び起こすに充分である。

そういえば今日は、哲学者の著書を読むことの効用を、身を以て経験したという話題もあったのだが、それは次回にゆずる。

戦力外通告

7月2日(火)に、ニコ生にてメダロットアニメ20周年特別企画をやるそうである。

当時は誠に面白くこのアニメを拝見していたものである。余はゲーム・ボーイの当該ゲームを全くプレイしたことがなく、ただ単にアニメだけを拝見していた。やっぱりキャラデザインの魅力が大きかったし、声ドル陣も有名な人からよく知らない人迄バランスがとれていたように思う。

「本を買うならフックオフ」という漫画も、たしか第7笑だったと思うが、メダロットのパロディネタをやったことがある。といっても単にヒヨコ売りの小父さんを出してしゃべらせた丈である。

然るに、このアニメは無印と呼んでいたが、それに続く「メダロット魂」という作品は、非常に劣悪な改変がなされ、ストーリイも貧弱で、兎も角あまりにもショックが大きくて何も憶えていないというのが実情である。

メダロットのDVDも出ていたようだが高額のため買えなかった。

少年向けというか、児童向けのアニメは昨今よく知らないが、なんか手垢にまみれたタイトルだけが思い浮かぶ。

この機会にブルー・ボックスでも出すのかもしれないが、ちょっと買うかどうかは分からぬ。古いアニメを今から売るのは六つかしい。

期待を裏切らないね

余は昨年後半には、画業を積極的におこない、作品を提出してきた。

その原動力は何であったか。画の練習の成果を見てもらいたいということだろうか。それとも、使命感があって、描かざるを得ず、という心境だったのだろうか。

今となっては、二次元キャラを使用()する大衆というものが誠に目に余るもので、某SNSなどを見ると特にひどいと思われる。猿におかずを提供する義理はない。

誰もが、二次元キャラに終生同じ感情を抱き続けるわけではなかろう。また、漫画のキャラクターに自己を投影することも、自己自体が年月と共に変化するのだから、キャラクターの同一性を保つことは六つかしい。

余は漫画業に特化した活動をしたいと思っているが、これはこれで単品の絵よりも却って六つかしい。特に画業者にとっての報酬とは、己の描いた作品を一番に喜べることであると思うが、そんなこと丈を心の支えにして生きていくというのは空しくないか。

エッチな二次元キャラを作製し、使用()する人々も少なからずいる。このような人々にとっては、描写慾と性慾とが直結しており、極めて理に適った生き方をしていると言えよう。だがしかし、そういう者たちは重度のお宅族であり、コミケットに腐ったシャツを着て現れるしかない。

それはさておき、画業に必要なのは、根拠のない自信である。この絵は必ずウケる、この話は必ずウケると盲目的に信じ込んでいないと、中々活動を継続できないものである。自信もない、報酬もろくにない、となれば、一体何の為に画業を継続することができようか。