前回のあらすじ

これまで、人間の慾とか金銭とかについて網羅的に述べてきたのであるが、そのことについて若干付言しておく。

金銭によって叶えられる欲望は、商品が欲しい、女体が欲しい、とかの直接的な欲望である。これに対し、金銭を積んでも実現が六つかしい欲望というものももちろんある。まあ一説では、金銭が(充分以上)あるのなら、人生の8割のことは解決できる、と言われている。ここに言われているのは大体1億とかそれ以上の額を意味している。

例えば、友を得ること。友といっても悪友というのもあるし、うわべだけの友、真実の友、といったようにさまざまな段階があり、悪友を持つことは基本的に自分にも悪影響しか齎さないものである。真実の友と急にばったり出会うことはなく、ある程度以上の年月をかけて交流し、性格や趣味とか諸々の要素の組み合わせによって、真実の友となってゆくこともできる。

若人同士はすぐに友となることもできるが、老齢になって、あるいはものむつかしい人々は、快適さを優先するため、それを提供されない人と友になることは六つかしい。(これに関しては「ニコマコス倫理学」に書いてあるので詳しく参照されたい)

金銭との関連でいうと、ある程度の金持ちとか、あるいは金がないけれど金持ちの人に「師事」して仲間になりたいと願う人らとか、そういう者の集まるサロンみたいなものがある。吾輩はそういう集まりに全く関係がなく、またそういう会合で一体どういう交流がなされるのか想像するのも六つかしいが、吾輩が通常やっている業務を推進するための活動は、当該サロンではできないだろうと想像する。

そして、業務で成功するというのも、また金銭によって叶う類いのものではない。特に人気商売、芸事といったものは先ずファンがつかないとならぬし、飯を食うためにはそのファンから支持・支援されなければならんし、出版の胴元と関係を持つために、一定以上の実力を持つことを示していかねばならない。

一方、金銭を充分持っているのなら、それでもなお芸事をやりたければ好きなようにやればよく、対価も求めないとなればストレスもないだろう。ただファンというのは膏薬みたいに、たいていの芸事にくっつくものである。ただそれの多寡とか支援される度合いが異なるというだけで、本質的には芸事はそれを当人が随意に為すことが根本にある。つまり好きなように創製するのが一番いい、と言うこともできる。

吾輩は芸事に於いてどれだけ支持されているか、若干の数値データによってそれを知ることができるが、まあそんなに支持されてない部類に入るといえる。既述のように、金銭の力で支持を得ることはできぬから、芸事を極め上達すること、あるいは支持者に対してもの柔らかな態度をとること、といった対策が必要となる。

継続することこそ力、という物言いはあるが、結局これは時間の範囲をどうとるかによって解釈が変わってくるもので、例えば5年やったけれど支持が広がらなかったなら、「継続必ずしも力ならず」という結論になるだろう。一方、支持が充分広がるまで際限なく活動を続けるなら、結果的に「継続は力」となるであろうが、その際に当人が充分事理弁識能力を保持していて、健康であるなら万々歳、といったところだろうか。

そもそも一生涯をかけてやるつもりの活動で、短いスパンを区切って「継続は力」と言い切ることは浅はかなことである。不遜なことでもある。継続はしていくが、どういう結果になるかはふたを開けるまで分からん、というのが相当のところだろう。

動画配信者となって、収入を得て活動を回していく人も、動画の胴元の機嫌一つで簡単にBANされることもある……諸行無常である。